深い喪失感、無気力の原因は [自己分析]

若い頃、「死んでしまいたい」と思ったことが何度かあった。

とても辛い状況に立たされていた。

けれど、私は気が強く
「どうせ、死ぬなら死ぬ気で働こう。本当に死にたいんだから、飲まず食わずで働いて死んでしまえばいい。」
そう思った。

人生は好転した。

今、私が自殺願望を持つのは、無気力になるのは何故なのか?
病気の症状のせいもある。

なぜ、あの頃のようにだったら、と発想の転換が出来ないのだろう?

それはやはり娘と母がほぼ同時に私の前から去って行ったからだ。
娘は父親と暮らし、元気に幸せに暮らしている。
でも、行く前の1年は本当に気が狂うほど、心配させ、私の病気を悪化させた。
娘もそのことは解っている。
私が嫌いなわけではない。反抗期が重なって素直になれなかった所と
本当にとんでもない同級生に出くわしたせいだから。

「愛する対象が一人いなくなった。」
可愛い、かわいい娘が目の前から消えた。
このショックから未だに立ち直れていないのだ。

そして、今度は反対に子供の頃から虐待され、最後まで私を苦しめ続けた母が居なくなった。
もう、母が私の心を傷つけることはない。

苦痛から解放されたのだ。

気がつかないうちに洗脳されていた母への思いから解き放たれた。

でも、これも喪失感がある。

急に苦痛から解放されて、さぁ、幸せに自由に生きていいのよ。  と言われても
どうしていいのか、戸惑っている。
自分自身の価値観を一つ一つ疑って確かめなくては40年の歳月はあまりに長く
私自身を見失いすぎて何が自分の好みなのか、楽しく感じるものなのかわからないのだ。

元々、人が喜ぶ姿に幸せを感じる、お節介な性格なので、
ますます、自分が楽しい喜ぶという感覚がつかめない。
探しているうちに疲れてしまう。

子育てと言う責任も重く、しかし愛おしい生き方も、
洗脳という苦しい生き方も、突然、無くなると、
まるで火事の後の家の前に呆然と立ちすくんでいるような気持ちになる。
どこから、何に手をつけたらいいのか、途方にくれてしまう。

それが、とてもとても、精神的に深い疲れを産んでいるんだ。

今ここにいる、私は十分幸せだ。
解放感でいっぱいだ。

でも、それから?
どう前に進みたいんだか、まったく自分で解らない。

タグ:喪失感
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